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高橋智 (Satoshi Takahashi)
開館当日の「もりおか啄木・賢治青春館」にて
盛岡市在住。「城下盛岡べんじぇもの地図」はじめ、文化地層研究会発行の地図デザインを手がける。
文化地層研究会草創期、既に盛岡の歴史・民俗・文化・祭礼についてでデータベース化し、
「もりおか歴史の記憶探求館」を通じ公開していた経緯から、初代文化地層研究会代表に就任。
「何時半次郎のKenBunLog」(高橋智の個人運営ブログ)
| 「義経公に想いをよせて」 私が平泉・高館義経堂の義経公像にはじめてお逢いしたのは もう、25年も前のことでした。 参道前に「義経公最期の地」と書かれた大きな標が建っていたのを、 今も深く記憶しています。 義経公とはあの「牛若丸」であり、五条大橋での弁慶との出逢いをはじめ、 一ノ谷では「鵯越の逆落とし」、壇ノ浦では「八艘飛び」と活躍し、 ついに平家を滅ぼした人物だとまでは知っていました。 しかし、何処で生まれて何処で何をしてここ、平泉で亡くなられたのだろうか。 当時小学生の私がそんな疑問を抱いた時、 どんな伝承の舞台でも、それに応えてくれるものを手にすることはできませんでした。 以来、義経公について深く探求するチャンスに恵まれないままでしたが、 今年、いよいよ私の夢が形となりました。 平泉を訪れた誰もが、 その場で義経公の「夢の跡」を探求するきっかけを 手にすることができることでしょう。 義経公ゆかりの地・平泉の文化遺産が 世界遺産に登録されることを心から祈念します。 平成17年4月23日 文化地層研究会 代表 高橋 智 |
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| 「盛岡発掘」 「文化」は地層の如く積み重なっている。 時の流れの中で、積み重なり地中深く埋もれ忘れ去られてしまったもの達を 静かに発掘して、その記憶を呼び戻したい。 そんな想いが、私たち「文化地層研究会」の中にはあります。 例えば、埃(ほこり)を被っているだけと思っていた「地名(町名)」が 時間という土砂に埋もれつつあったり、また、掘り出されていたりもする。 城下町として「盛岡」を開いた先人の思いを、今になって強制するつもりはありません。 けれど、過去のない土地に「その名」が付された事実そのものに 歴史と文化とが凝縮されていることを、より多くの方々に知って欲しいのです。 「文化地層研究会」の名を世に明らかにした、「城下盛岡旧町名探求地図」。 これは、私が幼い時から思い描いていた、 そして現実にしたいと夢に描いていた地図の姿を いま、記憶の彼方から掘り出しただけに過ぎません。 誰もがきっと、心の奥深く抱いているのではないでしょうか。 「記憶」を取り戻す、「探求心」というものを。 平成15年3月6日 文化地層研究会 代表 高橋 智 |